日本では“「熱意ある社員」が6%のみ”
アメリカの調査会社が発表したレポートがNews Picksなどのネット上で話題になっています。
以下がその記事です。
記事によると、日本で「熱意のある社員」は6%のみで、それは調査対象となった139ヵ国中132位と最低ランクだったということです。
これに対してSNS上では様々な反応があります。
日本は社会システムとしては最も活気がなくなる設計をしてるから納得の数値。リスク・リターン・変化・不確実性のいずれも最小になるような制度になってる。若者とか上司とかそういうミクロなことが原因ではない。https://t.co/m9OFQfR4vH #NewsPicks
— Katsuaki Sato (佐藤航陽) (@ka2aki86) May 26, 2017
そりゃあ上の人間だけ給料アップか維持をしておいて下の人間はどんどん賃金が安くなっていって熱意なんて出るかよ。
「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査:日本経済新聞 https://t.co/KMw8aJWjbF
— とーと (@togemefancier) May 26, 2017
終身雇用という若い内の給与と退職金を人質に取る制度が崩壊した後に、リストラという名の馘切りという経営陣の無能さを見せつけるだけの状態で忠誠心をどう持てとw
「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査 :日本経済新聞 https://t.co/3q0IP5tETJ
— fugar (@_fugar_) May 25, 2017
筆者(私)はこれを目にして、日本人として残念な気持ちになると同時に、どこか「やっぱりな」という気持ちにもなりました。
幸い、筆者が働いている会社においては「熱意のある社員」が多いなぁと個人的には感じているのですが、会社外の周りの友人やSNSなどからの話を見聞きすると、「熱意」をもって仕事をしている人はそんなに多くない印象です。
今回は仕事に対する「熱意」について、また「なぜ働くのか」ということについて考えてみました。
Contents
そもそも「熱意」は重要なのか?
「熱意のある」社員が6%だったということですが、そもそも「熱意」を持って仕事をしなくてはいけないものなのでしょうか?
確かに、企業の経営者・マネジメント層からすると当然、社員が熱意を持って仕事に取り組んだ方が個人のパフォーマンスがあがり、結果、会社の業績が上がるということが考えられるので、社員の「熱意」を重要視するのはわかります。
一方、働「個人」として考えたときに「熱意」は重要なのでしょうか?
このことについて考える際のヒントが、京セラ創始者の稲盛氏の著書『生き方』の中の一節にあると筆者は考えています。
同書の中で稲盛氏は、「仕事・人生における結果」を表す方程式として、以下のことを提唱しています・
「仕事・人生の結果=考え方×熱意×能力」
稲盛氏が言っているから正しい、というわけではないのですが、筆者としてはなるほどなと腑に落ちる部分がありました。
働く個人については、仕事においてだけでなく、人生においても「熱意」は重要な要素であるということです。
そして、冒頭のレポートに戻りますが、その「熱意」が132位/139ヵ国というのはやはり悲しい現状なのです。
なぜ「熱意」を持てないのか?
熱意を持つことは重要でありながらも熱意が持てないのはなぜなのでしょうか?
企業の経営者・マネジメント層からすると、社員に熱意を持たせることは会社の業績を上げるために重要ですが、働いている個人からすると、日々自分の仕事をこなすだけで精一杯で、会社の業績などはあまり関係ないというのが本音だと思います。(会社の業績が自分の給料に直結する場合にはまた別かもしれませんが)なので、働く個人の視点からすると、「熱意」を持って仕事に取り組むことの重要性を日々日々にはあまり感じないというのは大きな要因の一つであると筆者は考えています。
もう一つ大きな要因は、働く個人が「なぜ働くのか」ということを納得しないまま働いているからではないかと筆者は考えています。つまり、「働くことの意味」を見出せないために、自分が何のために働いているかわからず目の前の仕事に熱意を持てないということです。
自分が何のために働くのか、その仕事への自分なりの目的・意味づけが腑に落ちれば働くことへの「熱意」はもっと生まれてくると筆者は思うのです。
「なぜ働くのか?」を考える
では、人はなぜ働くのか。筆者なりに考えを整理してみました。
先に結論からお伝えすると、それは「人生をより豊かにするため」というものです。
「人生の豊かさ」については、大きく1)経済的な豊かさ、2)経済的以外の部分での豊かさがあると考えていて、ざっくりまとめると以下のイメージになっています。

1)経済的な豊かさを得る
まず基本的でとても大切なものとして、経済的な豊かさを得るということです。生きていく上では、当然にお金が必要で、お金を得るためには働かなければなりません。どのくらいのお金を得られれば「豊か」になっているかというのは人それぞれ基準が異なると思いますが、その人が望む生活水準(やりたいこと、住みたい場所等)が叶えられていれば経済的に「豊か」なのだと思います。働いてお金を得ることで、その経済的豊かさ得ることができるのだと考えています。
2-1)経済的な部分以外の豊かさを得る
経済的な豊かを得るのは大切なのですが、それだけで人生を豊かにできるかと考えると、そうではないのかなと筆者は考えています。
例えば、何もせず1日8時間ただ突っ立っているだけで自分が望む程度のお金を得られる仕事があったとした場合、あなたはその仕事を選択するでしょうか?筆者は選択しないと思います。
なぜその仕事を選択しないかと考えると、そこには「やりがい」がなく、お金以外に得られるものがないからです。つまり、人生を豊かにするには、経済的な豊かさだけでなく、人生における「やりがい」が必要なのだと考えています。
2−2)人生における「やりがい」
では、どうすればその「やりがい」を得ることができるのか、ということも考えてみたことろ、自分が感じるやりがいは、①社会(他人)との関係における「やりがい」と、②自分個人の成長を実感することによる「やりがい」の大きく2つがあるのかなと整理しました。
2-3)社会(他人)との関係における「やりがい」
働くことを通じ、社会のいろいろな人と関わっていきます。そして自分がした仕事が社会(例えば、社内の上司/同僚、顧客など)から評価されることになります。その自分がした仕事が「善きこと」と認められることは人間の根源的な欲求、マズロー氏のいうところの承認欲求が満たされることで、人間にとってやりがいを感じるものだと筆者は考えています。
つまり、もっと端的にいうと、人から認められることにやりがいを感じるとのだろうなということです。
働かない場合と比べ、働くことを通した方がより人から認められる機会が量・質ともに増え、つまり「やりがい」を感じる機会が増え、ひいては人生を豊かにするチャンスが大きく高まると筆者は考えているのです。
2-4)自分個人の成長を実感することによる「やりがい」
働くことを通じた社会(他人)との関係におけるやりがいを感じることで、自分自身の成長を実感し、それ自体が「やりがい」にもなると思います。
他人の役に立つためにしたことが他人から認められ「やりがい」感じ、その経験から自分の成長を実感し「やりがい」を感じ、さらなるやりがいを求めて他人の役に立つことを考えていく、という正のループが生まれ、感じるやりがいが増幅していくということでより「人生を豊かに」するということだと筆者は考えています。
より「熱意」にあふれた人生にするために
人生100年時代になった現代では、働く時間はこれまでの40年程度ではなく、もっと長い時間働くことになる仕事と向きあう時間が長くなると筆者は考えています。
人生の大半を費やすことになるであろう仕事に対して「熱意」を持てないのはもったいない気がしてなりません。。
筆者は働く理由を上記のように整理してみましたが、この記事を最後まで読んでくださった方にも、ぜひ改めて「なぜ働くのか」ということを考えてみて欲しいなぁと願う今日この頃です。
いかがでしたでしょうか?
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